概念が無いと人の認識は変わる

はい、今回のタイトルはこのようなものとなっております。
「概念が無いと人の認識は変わる」
当たり前のように感じますね。なぜこのようなタイトルで投げかけたのでしょう。
ぜひこの記事を読んで少しでも共感していただけると嬉しいです。

また、今回の記事では音楽だけでなく、様々な分野の物事にも当てはまるかと思います。
※映画「メッセージ」の軽いネタバレもあります。

時間の概念の無い部族

みなさんは当然のように「時間」というものを認識しています。
目には見えなくても一日が24時間であり、一時間は60分であり…
また人の生涯はだいたい80年ぐらいで、一年が過ぎれば人はまた一つ歳をとる…
こんなことは当たり前です。

ところが、世の中にはその「時間」という概念をもたない民族が、驚くことにちょいちょい存在しています。
たとえばブラジルのアモンダワ族なんかがそうである。
彼らの言語には時間を表すものはない。
したがって過去も未来もなく「今この瞬間」のみを生きているのである。

当然我々には想像もつかないことだが、彼らには昼と夜、乾季と雨季の区別ぐらいしかないそうだ。
では、こういった民族に「時間」という概念を教えるとどうなるのだろうか。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ」という映画では主人公である言語学者の女性が宇宙人の言葉を知ることでなんと未来予知ができる、という内容になっている。
そんなばかな。宇宙人の言葉を知っただけで未来が見えるはずがない。
もちろん僕も最初はそう思っていた。

ところが、もし仮に先程の部族に我々の知り得る「時間の概念」を教えるとどうなるだろうか。
彼らはたちまち過去や未来というものを知り、それによっていつごろ自分は成長して大人になり、やがて死んでいくのかといった予想を立てることができるようになる。
つまり、正確にでは無いが彼らは漠然とした「未来」を予知することができるようになるのである。

映画「メッセージ」においても宇宙人は何か我々には無い「新たな時間に関する概念」を教えたのだろう。
こう考えると、新たな言語における新たな概念によって未来予知ができることも少なからず納得できる。

他にも我々にとっての当たり前が無い人もいる

その他にも「前後左右」という考えが「東西南北」に置き換わっている部族もいる。
これは一見言い方が違うだけのように思えるが実際はそうでは無い。
我々にとっては右手はいつも右手である。
しかし、彼らに取っては自分が北を向いているときは右手は東の手になり、自分が東を向いているときには右手は南の手になるのである。
うむ、非常にややこしい。
ところが、彼らはこれを使いこなす。
思い出話なんかをするときでも、そのときの方角を正確に覚えていて「船が西向きに回転して転覆した」などと言うそうだ。(もちろん、この思い出話をするときの彼らの今現在の向きによっても方角は変わる。非常にややこしい笑)

彼らは常に太陽の方角や影の位置から方角を把握してそれを記憶しているそうだ。
とうてい左右の概念がある我々にはできない芸当である。

また、色の概念が3つしかない部族もいる。
黒と白と赤しか区別がないそうだ。
海のように黒い、葉っぱのように黒い、などと言うそうである。
これも我々にはなかなか理解が難しいと思うかもしれない。

ところが、実は我々日本人も「味覚」に関しては大雑把な分け方をしてしまっているのである。
わさびも唐辛子も塩も胡椒も「辛い」でひとまとめにしてしまう日本人を、もし仮に味覚に関する分類分けが100種類以上ある民族がみたらどう感じるだろうか。

これを音楽に当てはめてみよう

さて、このブログは「佐藤サックス教室」のブログなので、これまでの話を音楽に当てはめてみようと思う。
まずは概念が「ある者」と「ない者」に分けなければならない。
手っ取り早く、楽譜が読めるものと読めないものに分けてみよう。

楽譜とは音楽を記憶したもの、つまり文字といっていい。
文字のあるなしで何が変わってくるのかを考えてみよう。

まず、何と言っても文字が無いと知識や技術などを後世に伝えていくことが大変である。
口頭でしか知識を伝える手段が無いので、伝える人がいなくなるとその知識は途絶える。
さらに、受け手に100%伝わるとも限らないので情報が曖昧になってくる。

たまに、楽譜の読めない素人さんのコピバン(ジャンルは問わない)のキメの部分などで、8分休符か16分休符か区別がつきにくいなどといったことがしばしば起こる。
これは単純にそのバンドの技量にもよるのだが、そもそもコピーをする段階で、そういう細かいところを無視してしまっているからこそ起こる問題だとおもう。
当然楽譜が読めるのならもともとの売り譜をかってきて調べたり、自分たちで譜面におこしてバンド内で共有できれば情報も統一できるのだが、そもそも楽譜の読めない人は8分休符や16分休符といった概念がないので「一瞬あいだを空ける」という認識しかないのだ。(これは僕が楽譜の読めない人から聞いた情報なので必ず誰しもがそうとは限らないが)
もちろん、楽譜が読めなくても音に敏感な人は8分休符や16分休符といった概念がなくとも、正確に8分休符や16分休符などを再現できるのだが、そういった人は稀である。

また、クラシック音楽の概念しかない人は当然クラシック音楽しかできない。
ジャズの概念しかない人は当然ジャズしかできない。
ロックの概念しかない人は当然ロックしかできない。

これは各ジャンルごとに音色や奏法、テンポや音の立ち上がりなどが異なってくるからである。
しかも、一度や二度聴いただけでは到底わからないぐらい深い異なりが各ジャンルごとに存在する。

ただし、自分で他のジャンルは(完璧に)プレイできないにしても、色々なジャンルを知ることはとても大切である。
そのジャンル独自のエッセンスを必ず自分の知識として蓄えることができ、そこから新しい音楽に対する概念が得られることがあるからだ。
先程の「味覚」の話のように、他の言語を学ぶことによってあらたな「味覚」の表現方法が発見できるかもしれないからだ。

ピッチに関しても純正律と平均律が「存在するということ」だけでも知っていたほうがいいかもしれない。

このように、音楽には様々な概念が存在し、それらの複合によって唯一無二のいい音楽ができあがるのであると僕は信じている。
あなたが一つの音楽のジャンルで「100」の知識をもっていたとしても、別のジャンルの概念を学ぶだけでその知識は200にも300にもなっていくのである。
また、音楽を聞くときにもきっと楽しめる部分がもっと増えていくことだろう。

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